植田俊彦がカリスマ左官の久住章と出会ったのは、二二歳の時だった。
十五歳でこの道に入った植田は八年のキャリアを持ち、左官職人として立派に生計を立ていた。 彼の作業は速く、正確で、すぐに先輩を飛び越えて、工務店から指名で仕事を依頼されるようにまでなっていた。現場で鏝(こて)を持てば、鼻っぱしが強い職人だった。
「壁ぬるんかい。勝負しよか」
そんなある日、兄の紹介から左官の仕事があると聞いて、現場へ行った植田は度肝を抜かれた。その部屋はまるで迎賓館のようで、美しい漆喰彫刻が施されている現場だった。 その仕事に取り組んでいたのが久住章だった。二人きりの厳しい現場で、試行錯誤を何度も繰り返す。およそ四年間、植田は久住から、あらゆることを吸収し、さらに自分でも探求していった。 これからさらに職人として伸びる大切な時期だった。しかし、植田には、人生を左右する大きな試練が待っていた。この道で生きていくことを、試されるかのように。
「左官の仕事は絶対してはならない」
有無を言わさぬ医師の警告だった。植田は二六歳で、慢性肝炎を発症していた。病状は重く、常に倦怠感に襲われ、一度、肝臓に痛みが走れば、身体を丸めて必死で耐えなければならない地獄のような毎日を送っていた。
しかし、やるしかない。俺にはこれしかないのだ。三十歳となった植田は、医師の警告を無視して、己に懸けた。彼は震える想いで職人として復帰する。始めは、一日働いては、しばらく休みを貰う。
身体の様子をみながら、次は三日間、必死で頑張ってみる。だが、体力を失い現場を離れ再び入院する。それをひたすら繰り返していた。心が折れそうになった。彼の状況を知らない人から、辛辣なことをいわれたりもした。
だが、植田は屈辱に耐えながら、少しずつ、ゆっくりと、眠っていた職人の魂を呼び覚ましてゆく。与えられたその仕事を、ただ無心で取り組めることに心からの感謝の念が湧いていた。
「あぁ、今日一日、なんとか生きられた。ありがとう」
植田の敬虔な姿勢は、身体を蝕んでいた病魔を打ち負かし始めた。奇跡といっていい。神様に試された男は、永い闇を切り抜けて、後に天才と称される日本有数の左官職人へと、導かれてゆくことになる。
植田は平成八年に淡路島に拠点を置き、職人としての仕事をこなしている。イベントや、若い左官職人を育てるために、求められるままに日本のみならず、海外にも出向く多忙な日々を送っている。
仕事は、いつでも植田を中心に人が集まり、常に笑いの絶えない楽しい現場となっている。誠心誠意尽くしてお客さんに喜んで頂くことが、職人としての最大の喜びだという。
大きく構え、豪快に笑い、皆を楽しませる植田は、いつでも自らが、先頭に立って鏝を持ち壁を塗る。時には厳しく若き職人を叱咤する。
それは、まだこの道には、果てしなく繊細で奥深い世界があることを示すために。そして、どんな状況であっても、嘘偽りなく誠実に生きることに、価値があるのだと伝えるために。
「あのおっさんのおかげで、壁塗るのが好きになったとか言われたら最高やね。拾った命なんや。俺はもっと高いところに行くよ。行けるところまで」
(職人の貌より一部抜粋 撮影/取材・文 林建次)